香港時間 - Hong Kong Time -

香港の今を、日常から、写真と文で読み解きます

33年目の香港の6月4日

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天安門事件から33回目の6月4日を迎えた香港。事件の翌年から毎年行っていたビクトリア公園での追悼集会は昨年同様封印された。今年は、主催者団体の解散や新型コロナウイルス対策に伴う集団行動の禁止などから、集まる気運さえ出てこなかった。むしろ警察側は、前日夜から公園を封鎖するなど、昨年以上に警戒を強化していた。(冒頭の写真は4日午後)

 

「香港国家安全維持法」の施行から2度目の6月4日となった今年、街の空気も多くの市民の過ごし方も変わった。

 

4日は日中から大勢の警官が、公園や公園周辺の銅鑼湾や天后一帯で警備にあたり、不審者と見られる市民の持ち物検査などをしていた。


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去年は、ビクトリア公園のサッカーコートは当日正午ごろから閉鎖されたが、今年は前日の午後11時から閉鎖。

 

去年は、銅鑼湾では、若者を中心に多くの市民が黒シャツ姿で携帯のライトを灯したり、小さなキャンドルを手にしたりしながら追悼と思われる行動をしていた。今年は、香港のニュースでは、マスクに自身の思いを書き込んで歩く市民や、昨年のように携帯のライトを灯して歩く市民の姿を捉えていたが、そういう行為をする市民は昨年とは比べ物にならないほど激減。むしろ、テープを張って立ち入り禁止エリアを作って警備に当たっていた大勢の警官と、その風景を携帯のカメラで撮影する市民の方が目立った。

 

去年はミサを開いた新界の教会は、今年はひっそりとして人影も、警察官の姿もなかった。昨年は教会近くのマンションのどこかの部屋から、追悼集会で毎年流れる音楽が流れていたけど、今年はその音楽が漏れてくることはなかった。


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(教会前は人影もなくひっそりと)

 

遡ること、2年前の2020年6月4日。「香港国家安全維持法」が施行される前の最後の6月4日だったが、この年の年初に新型コロナの感染例が香港でも出たことから、香港政府は感染予防対策として集団行動を禁止。追悼集会は許可されなかった。それでも主催団体のメンバーや市民はビクトリア公園にやってきて追悼行動を行った。(この年は、集会は許可されなかったが、公園は封鎖されなかった。後にこのメンバーらは、違法集会を行ったとして逮捕され,実刑判決も出て拘留中)


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(コートはライトアップされているが、ロウソクの灯も人影もなくひっそりとした4日のビクトリア公園)


今年は、ネットでこの日に合わせて煽動的な行為を呼びかけた疑いで前日に逮捕者が1人出たが、目立った動きはそれぐらい。むしろ警官の数や警察車両の方が目立っていた。4日付と5日付の親中派新聞「大公報」「文匯報」では6・4とか追悼集会という文字は一切なかった。

 

去年はこんな感じだった:

https://hongkong2019.hatenablog.com/entry/2021/06/15/084029

 

あの「ジャンボ」が香港を去ることに

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日本人観光客に人気だった、香港仔(アバディーン)の水上レストラン「珍寶海鮮舫(ジャンボ・フローティング・レストラン)」が今月香港を離れる運命にある。(写真はRTHKのサイトから引用)

 

経営難に陥り、2020年にテーマパーク「海洋公園(オーシャンパーク)」に寄贈することが発表されていたが、昨年海洋公園から、ジャンボを運営する第三者が見つからないとして、受け入れを断られたそうだ。その後10社と譲渡の交渉をしていたが、維持コストが高すぎるとして、買い手が見つからなかったという。

 

香港を離れることにしたのは、(1)この6月でジャンボの海事ライセンスの期限を迎える(2)コロナで営業できない中でも、船体の維持や修理に毎年数百万香港ドル(約数千万円)の支出が発生している(3)3年に一度の大規模メンテナンスの時期にあたり、さらに負担が増す----といった状況にあるからで、ライセンスが切れた後は香港で停泊場所が確保できなくなるからだ。行き先はまだ決まっておらず、安く維持できる停泊場所を探して移動し、そこで譲渡先の出現を待つそうだ。

 

ジャンボは、1976年に開業して45年間も頑張っていたが、2013年から経営が傾き1億香港ドル(約16億円)以上の赤字となり、2020年3月に営業を停止していた。で、海洋公園に無償で提供したんだけど、その海洋公園も2019年の大規模反政府デモと翌2020年からの新型コロナウイルスの流行で、来場客が激減して自分も経営危機に陥って大変な状況だから、お荷物は抱えたくない(というより抱える余力ゼロ)ということなのだ。

 

水上に浮かぶ船体が、眩しいほどのネオンで照らされてお城のように見えたあのジャンボ・レストラン。遠目で見るだけでも迫力があったけど、小さな船着場から小型ボートに乗ってレストランに行く体験も刺激的で、日本人観光客の間では観光の目玉になるほど人気だった。

 

そんなジャンボだけど、行き先が決まっていないのに香港を離れることだけ決まっているなんて、なんと悲しい末路だろう。

 

いっそのこと日本のどこかの金持ち企業が引き取って、再生/活用するとかないのかな。

 

 

高層ビル化で消えた食べ物「飛機欖」

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5月26日、昔懐かしの香港のお菓子や小腹を満たすおつまみなどがデザインされた特別切手が販売された。どのデザインも可愛いだけでなく、立体的になっている。

 

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これらの切手に描かれた食べ物のうち、どれだけ知っているかは、日本人の香港オタクレベルや、香港人の世代を知るちょっとした目安になるかもしれない。

 

私は一つ、初めて見て知ったものがある。下の写真で示した「飛機欖」という食べ物だ。直訳すると飛行機の形をしたオリーブということになる。

 

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甘草などの薬草で作られ、1950年代から1970年代に売られていたそう。咳止めなどの効果があったそうだ。

 

名前から想像できないこの食べ物。行商人が飛行機を思わせる?楕円形の容器にこのお菓子を詰め込み、飛機欖売りと分かる歌を歌いながら街で売り歩いたそうだ(日本でその昔見られたた「焼き芋〜石焼き芋〜」みたいな感じ)。しかもこれ、注文を受けるとこの容器から取り出して袋に入れて投げて売っていた。

 

当時の香港人は、唐樓といわれる5階建てや7階建てぐらいの住宅ビルに住んでいたが、住民とこの菓子を売る行商人とは窓越しで売買をしていたのだという。

 

行商人の歌声を聞いた住民が、まず自宅の窓からお金を下に投げ(つまりお金を払い)、それを受け取った商人が、この飛機欖を袋に詰めて窓に向かって投げていた(つまり商品を渡した)んだとか!

 

お互いに建物の階段を昇り降りする手間暇がいらず合理的だが、香港の合理的な考えはこの頃、こんなところでも発揮されていたのだと知った。

 

業者は投げるための訓練も必要だったらしい。お菓子を入れていた容器が飛行機の本体のように楕円形なら、お菓子も楕円形だ。しかも、そのお菓子を飛ばしていたから、「飛機(中国語で飛行機の意味)欖(オリーブ)」となったわけだ。

 

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会社の20代と30代の同僚に聞いたら、「聞いたことはあるけど見たことはない」だった。調べたら、住宅の高層ビル化と共にこの行商人は消えて行き、地元テレビ局が取り上げた最後の行商人のおじいちゃんももう亡くなっていた。

 

切手を見ていてしばし、古き良き香港にタイムスリップしたようだった。飛機欖は果たしてどんな味なのか、どこかで見かけたら、食べてみたいものだ。

 

日本アニメ「呪術廻戦 」の映画上映広告を見て

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週末に地下鉄駅校内で日本のアニメ映画「劇場版 呪術廻戦 0」の広告を見かけた。何を隠そう、このアニメの存在を教えてくれたのは、1年ほど前、家の近所の銀行窓口の若い男性行員だった。この宣伝を見て、このアニメが、映画になるほど日本でヒットして、それが香港でも上映されるほど香港人の間でも人気なのだと再認識した。

 

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普段は銀行の窓口で手続きをすることは滅多にないんだけど、一年ほど前、日本円を引き出すために、家の近所の支店に行った。で、窓口で対応してくれた男性行員が、私が日本人とわかると、広東語から日本語に切り替えて日本語で話し出したのだ。そして、彼の上司が引き出し手続きをチェックしている間、私たちは雑談していた。


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彼は、「日本語を話す機会がなくてだいぶ日本語を忘れてしまった」と言いながら、流暢な日本語を話した。たまたま日本人客にぶち当たって、日本語を話す機会を得て、嬉しくて仕方なかったようだった。

 

で、どこで日本語を習ったのか聞いたら、「ネットでアニメを見ながら独学で勉強していた」という。出た〜。このパターン。香港の若者にどうやって日本語を勉強したのかと聞くと、男女問わず、大抵「アニメを見て勉強しました!」という言葉が返ってくるのだ。そして、ネイティブ(つまり日本人)を見つけると、臆することなく、日本語でしゃべるのだ。日ごろ、英語や普通話(標準中国語)など多言語に触れる社会だから、外国語への抵抗感は日本人とは比べ物にならないぐらい、低い。


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で、「最近は何のアニメが面白いの?」と聞いたら「ジュジュツカイセン」との返事。一体なんのことかと、ぽかーんとする私に、紙に「呪術廻戦」と書いて教えてくれたのだ。これが「呪術廻戦」という作品を最初に知った瞬間だ。

 


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日本のアニメは、古くは「ドラえもん」「クレヨンしんちゃん」「ちびまる子ちゃん」などが人気だが、今は今で若者の間で相変わらず日本アニメは人気がある。昨年は「鬼滅の刃」も香港で話題となって、キャラクターグッズをあちこちで見かけたし、コロナ感染の波と波の谷間で規制が緩和されると、映画も上映された。

 

私はあの支店の窓口には、あれ以来お世話になっていないけど、あの男性行員くん、きっとウキウキしながら映画館に見に行っているんだろうなぁ。

 

※写真は全て尖沙咀の地下鉄駅構内の広告

 

 

映画「梅艶芳(アニタ)」を観た

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新型コロナの第五波が沈静化し、4月21日から映画館が再開したので、先日、香港映画「梅艶芳(アニタ)」を観に行ってきた。評判通りの作品で、泣けた。

 

 

この映画は、昨秋上映されるや香港人の間で人気沸騰。映画好きの香港人の友人も絶賛していたので観たいと思っていたが、観ないうちにコロナ禍で映画館が休館に。諦めていたけど、規制緩和で再開すると、まだ上映する映画館が僅かにあってラッキーだった。

 

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(Disneyプラスではダイレクターズカットを上映中)


映画の主人公、アニタ・ムイは言わずと知れた香港の大スター。1980年代、90年代を中心に活躍していたが2003年12月に子宮頸がんのため40歳の若さで旅立った。

 

映画は、幼少期に姉と一緒に舞台に立って歌っている場面から始まる。(以下ネタバレになるのでご注意を)

 

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(下町の茶餐店(大衆食堂)に掲げられたアニタレスリーが共演した映画のポスター)


幼い頃は誕生日にケーキを買うお金がないほど貧しかったが、沢山の言語で歌が歌えれば世界が広がるというアドバイスを聞き、持ち前の歌唱力だけでなく、日本語の歌など多言語で歌を熱唱。ステージを盛り上げファンを魅了して、スターダムにのし上がった。


マッチこと、近藤真彦との恋の噂は香港では有名だが、映画では、後藤夕輝という名前の日本人歌手が登場し、恋愛模様が描かれた。映画では、日本に頻繁に行って愛を育んでいたけど、結局2人はそれぞれのスターのキャリアを選ぶことになる。(ちなみに、マッチは香港でも人気があった)


映画では、マフィアとのトラブル、社会貢献活動に取り組む姿、レスリー・チャンとの友情なども描かれて、短くも情熱と波乱に満ちた生涯が、数々のヒット曲とともに浮き彫りされた。

 

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(下町の茶餐店(大衆食堂)の店頭に掲げられたアニタレスリーが共演した映画のポスター。店内もオールド香港風)


そのレスリーは、SARS(重症急性呼吸器症候群)が香港で感染拡大中だった2003年4月1日にマンダリンホテルから飛び降り自殺。映画では多くの市民が悲しむ当時の映像を使っていた。(当時がリアルに思い出されて切なかった) そして、盟友の死を悲しんだ彼女も、レスリーを追うように約8ヶ月後の12月に旅立った。

 

当時、彼女はガンであることを公表して、最後のコンサートをホンハム体育館で行うことを発表。ウエディングドレス姿でステージに上がったのは伝説になっている。

 

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(映画館再開のお知らせ付きの、映画「梅艶芳(アニタ)」のポスター


映画には、街も人間模様も、古き良き香港がぎっしり詰まっていた。姉妹愛と、彼女の孤独も描かれていた。改めて、時代を駆け抜けたすごい女性だったんだなと思った。

 

 

4月15日のいろいろ

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今日4月15日。晴天で湿度55%、気温27度。風もあってカラッとしていてとても気持ちがいい。そんないいお天気なんだけど、いろんなことがあった日でもあった。

 

(1)新型コロナの新規感染者が、2ヶ月ぶりに3ケタに。一時は1日で7万人以上の陽性反応が確認されて大変だったけど、今日は946人。(PCR検査で471件、簡易検査キットで475件) 。昨年12月31日から始まった第5波だけで、感染者の累計は118万3000人余り、死者の累計は8856人で、致死率0.748%。感染しても申告しなかったり無症状で気づかなかった人も入れると、感染者は累計で350万人に達しているとの分析もある。ここまで減ったらやっぱりみんな解放感を感じるだろう。

 

感染者が3桁に減ったので、火曜日以外は毎日午前11時からやっていた行政長官のコロナ関連記者会見はひとまず終了らしい。

 

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(2)今日からイースター休暇で4連休。お天気だしこのところ毎日コロナの新規感染者が減っているので、街には人がいっぱい。離島に遊びに行く人も多そうだけど、ショッピングモールも人が大勢。笑顔が戻ってきて、嬉しくなる。上海市がゼロコロナ政策で都市封鎖して、抵抗する市民が警察に取り押さえられている光景などを横目に、「香港にいて良かった」などと皮肉る香港人も。

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(3)全民国家安全教育日:去年から始まったこの日。国家の安全や香港の安全などについて考えたり学ぶんだろうけど、休日に何をするんだろうか?何をしたらいいんだろうか?

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無料の防疫用品一式が届いた

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「おはよう。物資を届けに来たわよ〜」

4月7日朝、家で仕事をしていたら、こう言いながらマンションの各世帯のドアのベルを鳴らす人たちの声がフロア中に響いていた。

 

来たか。と思った。

 

香港政府が4月2日から7日間の予定で、香港中の約350万全世帯に配ると言っていた「防疫服務包」を配る物資給付隊だ。ドアを開けたら、マスクにフェイスシールドをつけたおばちゃん、おじちゃんが一軒一軒のベルを鳴らして、ドアを開けた住人に手渡していた。

 

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ボランティアが中心になって配っていた「防疫服務包」。上の写真がそうだが、中身は、冒頭の写真。

    -KN95マスク10枚入が2袋

    -漢方薬「連花清瘟膠囊」2箱

    - 簡易検査キット20回分

    -ホットラインなどが書かれた紙

    -政府からのメッセージ

 

 

350以上の組織、約1万7000人の人によって配られているこの袋は、原則一軒一軒に手渡すことになっている。不在の場合は、家のドアの前に不在通知を残す。住民はこれを持って所定の場所に行って受け取るようになっているという。

 

また、1世帯1袋だけだから、大家族で足りない世帯は、今日(4月7日)から13日までの間、所定の約90ヵ所で同じ袋を受け取ることができるという。

 


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上の写真は香港政府当局によるメッセージなんだけど、要約すると、「国家は、香港で起きているコロナの感染爆発を非常に心配してくれていて、香港政府の支援要請に応じて、医療部隊も含めて、各種防疫用品の購入、生産、運送に絶大な力を費やしてくれた。そしてこの「防疫服務包」の配布には、香港の100以上の組織と1万人以上のボランティアや公務員組織が結束して力を発揮してくれている。この大変な時期をみんなで乗り越えていこう。国家の強力な支援と市民が一丸になることで、一日も早く正常な日常を取り戻そう」

と、ざっとこんな感じ。


一番言いたかったのは、国家がとても支援してくれていることを忘れるな、ってことなんだろうな。


なんたって、3月末時点で、中国本土からの支援物資は累計30億人民元(約580億円)に達したというんだから。支援物資には検査用品、防護用品、消毒用品、医薬品が含まれるという。支援はこれだけではない。もっとある。

 

コロナ禍で流れるニュースは「国家の支援の下で〜」というフレーズがなんと多いことか。これを聞いて国家に感謝する市民はいると思うが、その一方で、国家にこんなに頼らなければならないほど、香港ってこんなにダメだったっけ?と思う市民もいると思う。