天安門事件から32回目を迎えた6月4日の香港。この歴史的一日に私が見聞きしたものを忘れないようにメモしておく。
午後。事件の翌年から毎年、犠牲者を追悼と中国の民主化を願って行われた「6・4集会」の場所だったビクトリア公園は、封鎖された。昨年も今年同様、コロナ対策を理由に集会は許可されなかったが、市民は自由にここに集まって追悼できた。しかし、「国安法」施行後、初の6月4日となったこの日は、市民が立ち入ることさえ許されなかった。
九龍半島西側の郊外・葵芳駅前でも、夕方を前に複数の警官の姿が(上の写真)。ここは昨年は無料でキャンドルが配られ、大勢の市民が列を作っていた場所だ。警官は厳しく見守るというよりも、違法集会が行われないように見張ってますよ、とメッセージを送っているような感じ。リラックスはしていたが、やや重々しい空気が漂う(5日付香港紙によると、夜にはこの場所にも若者らが結構な数で集まったらしい)
午後7時過ぎ。九龍半島東部の郊外・坑口駅近くにある聖アンドリュー教会に行く。この日、ビクトリア公園での集会は禁じられたが、教会内の宗教活動はこの限りではないから、ミサで犠牲者を追悼するというもの。ここは、そのミサを行う7つの教会のうちの一つだった。
(満席を告げる張り紙)
(教会入り口)
ミサは、午後8時からだが、私が着いた午後7時15分ごろには、すでに入り口に満席の張り紙が。(新型コロナ感染防止のため、この日の収容人数は270人のみ)。その後も続々と人がやってくるが、入れない。立ち去る人もいれば、教会前に残る人もいた。
この教会によると、6月4日に天安門事件の犠牲者を追悼するミサを行うのは、昨年に続いて2度目とのこと。それまでは、6月4日以外の日に教会で犠牲者への祈りを捧げ、4日当日はビクトリア公園の追悼集会に参加していたのだという。公園での集会が禁じられたので、4日にミサを行うことにしたわけだ。来年以降も、教会内だけが市民が集まって犠牲者を追悼する場所になるのだろうか?
(教会正面)
ミサが始まると、教会の外に留まり、携帯でミサのライブを見る市民も。ほどなくして警察車がやってきた。携帯のライトを灯すことも、この場に止まることも違法だと言い、排除しようとする。警官に罵声が飛ぶと、警官がその声の方向に向かっていった。
(男性を取り囲む警官ら)
年配の男性と女性が、別々の場所で警官10人ぐらいづつに取り囲まれた。警官の一人はずっと対象者をビデオ録画している。やがて女性は警察車にのせられて、連行された。遠目で一連の様子を伺っている市民にも警察は違法行為だと告げ、ビデオカメラで周辺を録画しながら立ち去るよう警告する。
(荷物検査も)
教会近くの公園入り口では荷物検査を受ける市民の姿も。普通に散歩するのも憚られる雰囲気だった。
(大勢の警官が集結)
ミサが終わる頃には警官の数が倍増し、「ここにいる人はこの場を離れないと違法だ」と、それまで以上に強く警告しながら、横一線に列を組んで教会周辺でミサのライブを見ていた市民の排除にかかった。スピーカーホンで警告し、ビデオ撮影しながら、市民を教会からどんどん遠ざけていった。(教会から出てくる人と合流させたくないのだろう)
一方、周辺の団地からは、毎年、ビクトリア公園の追悼集会で流れる音楽が大音量で流れていた。坑口駅近くの大通りでは、男性(50)が息子(10)を連れて、手作りのキャンドルを手に、やはり「6・4集会」で流れる音楽を流し追悼していた(写真下)。男性は、「ビクトリア公園での集会が出来なくなり、事件が風化していくの心配だ。皆に事件を忘れないで欲しいという想いも込めて、あえて目立つ場所で追悼しているんだ」と語った。場所が変わっても、集会を阻んでも、犠牲者を追悼する気持ちに変わりはないという心の叫びも伝わってくる。それにしても、香港がこんな社会に変わり果てるとは。
その後、ビクトリア公園がある香港島の繁華街・銅鑼湾に行ってみた。(例年なら追悼集会が終了する)夜10時を過ぎているというのに、「そごう」前は警官と市民が大勢いた。ニュースによると、反政府デモのスローガンを叫んだ人もいたようだが、私が見たのは、若者らが携帯電話のライトをキャンドル代わりにして歩いている姿。ところどころで、警察の荷物検査を受けている若者らがいたが、さっきの教会周辺に比べたら、市民も警官も、人数は圧倒的に多いのに、緊迫感は全然違っていた。
人が集まりがちなエリアにロープが張られていたのが目立ったぐらい(写真上)。若者らは、追悼というより、最近の民主活動家や市民への締め付けに、無言で抗議のデモをしているようだった。警察はそんな市民の様子を見守っているという感じだった。(と言っても、警官は皆小型カメラを胸に着け、しっかり録画しているようだったけど)
(いずれの写真も午後10時過ぎの銅鑼湾風景)
事件から32年目の今年、主役を失ったこの日のビクトリア公園はどうなっていたのか?
(例年集会が終了する)夜10時を過ぎても、全ての出入り口は警告の横断幕付きで、鉄格子で封鎖されていた。その付近に警官1-2人程度が見張りとしているぐらいだった。ただし、周辺道路は警察車が多く停泊。過去31年間、数万人規模の市民で埋め尽くされたこの公園は、ひっそりと静まり返り、サッカー場やバスケットコートを照らす無数のライトの光が、哀愁を漂わせていた。
(いずれの写真も午後10時過ぎのビクトリア公園周辺風景)
親中派の新聞「文匯報」は2012年から、「大公報」は2016年から、「6・4集会」の文字は消えている。学校では、今年から天安門事件については触れなくなったそうだ。香港にある中国政府の出先機関「中央駐香港連絡弁公室」(中連弁)トップの駱恵寧主任は先日、「『共産党の一党独裁の終結』を呼びかける者は大敵だ」と発言。追悼集会を主催してきた支連会が、一党独裁の終結を綱領にしているため、支連会の存続を危ぶむ声も出始めてきた。
香港はこれまで、中国本土とは別に、唯一大規模な追悼集会を行なってきたが、いよいよそうもいかなくなってきた。そういう意味で今年の香港の6月4日は、歴史的な転換点となったと思う。
(親中派新聞から「64」の文字が消えたことを記事にした6月8日付「アップルデイリー」)
(「一党独裁の終結」を呼びかける者は大敵だとの中連弁トップの発言を伝える6月13日付「明報」)
(ビクトリア公園周辺で見かけた白い菊の花と追悼のキャンドル)