ホテルでの強制隔離無事終了!
土曜日(11月13日)午後11時59分をもってホテルでの14日間の隔離が終了した。日付が変わったことを確認して、フロントに電話して即チェックアウト。日曜日(11月14日)から7日間の自宅での自己観察になった。
カウントダウン状態で日付を超えるのは、年一回のニューイヤー以来だ。妙だけど、香港国際空港で検査を受けながら、「14日目の23:59までは部屋にいて」と言われたし、隔離に関する冊子にもそう書いてある。つまり15日目になれば朝を待たずにいつでもホテルを退去できるのだ。
(部屋の出入り口のドアに貼られた、チェックアウトの際は事前にフロントへ電話を、という案内)
この時期、スーツケースを持って街中を移動するのは「隔離ホテルにいました」と世間に示すようなもの。別に悪いことをしているわけじゃないけど、香港でのコロナ新規感染者は海外から入ってきた人たちばかりだから、あんまり目立ちたくない。移動するなら、道路が空いていて、マンションの住人たちとの接触機会が少ない夜明け前だ。それに夜のうちに戻れば、自宅で朝からの時間も有効に使える。
そういう思いに至ったのは、数日前の隣の部屋の住人の行動だった。ある日、夜0時過ぎに突然物音がしだした。廊下では、ありえない人の話し声がする(一旦部屋に入ったら、廊下に出るのも禁止なのにだ)。何事かとドアののぞき窓を見たら、隣人がちょうどドアを閉めてスーツケースをガラガラさせて消えて行ったのだ。(話し相手はホテルの人が来て何かチェックした?)
で、私も深夜に退去することにした。香港は深夜でもこの時間ならまだ地下鉄もある。バスもタクシーも普通に走っている。
隔離ホテルの退去時の注意事項として、「退去するときは、必ず事前にフロントに電話」という張り紙が部屋のドアに付いている。他の隔離者と接触を避けるためだ。また退去時の注意書きに沿って、(1)パスポート/香港身分証明証、(2)空港で検査の時に渡された隔離令(3)バーコード管理されたホテル名入り首掛け用カード--を用意して部屋を出た。
(チェックアウト時に用意するもの)
チェックインは駐車場だったが、退去時はホテルのロビーだった。動線分離がしっかりできている。ガランとしたロビーのほぼ中央に、パソコンなどが設置された長机があり、そこで事前に用意した物を提示。ホテルスタッフはパソコンを使って簡単な作業をしたかと思うと、パスポート、香港身分証、隔離令を私に向けて「はい、どうぞ」。
「もう終了?」
「はい」
帰宅後の注意事項などもなく拍子抜けした。スタッフのいでたちも、ここを通過できるのは隔離中に4回のPCR検査をパスしている人だけだからか、チェックイン時のゴーグルに防護服で無表情な女性とは対照的に、マスクだけという軽装ぶりだった。
時計の針を前に戻して、この日の昼間の話しをすると、午前中に荷物を8割がた整理してあとはベッドでゴロゴロしていた。午後には前の日に宅配サイトで届けてもらった缶ビール1缶とソーセージとポテトチップスで、一人でホテル退去の前祝い。窓から外の景色を見ながら、長かった今回の移動を思い返した。しかし不思議なことにすでに1ヶ月以上が過ぎたという時間的な感覚はない。ルールに沿って動くことに集中していたし、世間と遮断された日々を何日も送っていたから、月日の感覚が無くなったのだと思う。
ただ香港のこの強制ホテルでの滞在はある意味贅沢な時間だった。古いホテルだけど、外側の壁一面が窓で“外”に繋がっていたから、外気に触れないでも、部屋から一歩も出られなくても、全然苦痛じゃなかった。
日中は毎日、気持ちがいいほどの青空だった。暗闇から徐々に明るくなっていく朝焼けや、徐々に日が落ちていく夕暮れ時は、実に美しかった。
午後になると部屋に西日が差し込み暑いぐらいだったが、向かいのビルの壁は、太陽の動きとともに、光で反射したこのホテルの外壁を映し出し、まるで光のショーを見ているようだった。
(太陽の動きとともに、ホテルの壁が反射して対面の黒色のビルの壁が色づいた。一枚上の写真の左の大きなビルが本来のビルの壁)
ビルの谷間からかすかに見えるビクトリア湾では、色とりどり、大小さまざまな、スピードもそれぞれの、フェリーや貨物船が、朝から晩まで顔を出してはまたビルの後ろに消えていった。真下を見ると、トラムやバスが忙しそうに走っていた。行き来する人の姿も見えた。
(飛行機も飛んでいた)
食事は卒倒するほど酷かったけど、あの部屋は私にその何倍、何十倍もの物を与えてくれたのだ。ホテル探しをしていた時に、めぼしいホテルはすでにどこもいっぱいで、「残り2部屋」の字を見て慌ててこのホテルに決めたけど、まさか私の好きな香港の風景がこんなにも見られるとは!あの部屋に滞在できて本当にラッキーだった。