香港時間 - Hong Kong Time -

香港の今を、日常から、写真と文で読み解きます

24年前の今日(1997年6月30日)

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24年前の今日、1997年6月30日。香港は時折りものすごい土砂降りになりながらも、刻々と残りの時を刻んでいた。英国植民地としての最後の時間だ。

 

さまざまな場所で、英国のユニオンジャック🇬🇧がおろされていく。世界中から集まったメディア関係者がカメラのシャッターをカシャカシャと切る。同じ場所に明日からは中国の五星紅旗🇨🇳がたなびくのだ。歴史上最後の瞬間だった。

 

明日からどんな時間が待っているのだろう。当時の香港市民には期待と不安が入り混じっていた。

 

当時、広東語が出来ず、辿々しい普通話(標準中国語)と英語で聞きかじりしていた私の感覚では、8対2程度で不安が多かった。香港は返還後、97年のアジア通貨危機、2003年のSARSに直面するが、SARS直後に中国が支援の手を差し伸べて始まった「自由行」(中国の個人旅行の解禁)を受けて、経済はV字回復を遂げる。並行して中国経済が飛躍し始めると、「中国とともに香港も豊かになるんだ」と、希望に湧く香港市民が増えていった。期待は不安を上回った。08年の北京五輪の時は「我々は中国人だから」と、香港人選手や中国人選手の活躍を誇らしげに見ていた。民主派市民は一層の民主化を訴えていたが、政治も経済も安定していた。


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(道路中央に飾られた返還24周年を祝う垂れ幕)

 

蜜月期間は長くは続かなかった。中国本土からみたら米粒程度の香港に、そのキャパ以上の中国人観光客や投資マネーが押し寄せ、香港人の感情は押し潰されていった。

 

若者たちの間で本土意識が芽生え、反中感情も高まる。そしてーーーーー。

 

昨年の今日は、「香港国家安全維持法(国安法)」が施行した。その後の1年は、「国安法」をベースに社会の歯車が動き始めた。その歯車はどんどん加速している。香港人自らが、香港を「新香港」というほどだ。

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(「国安法」成立1年を祝う新聞広告ー6月30日付「星島日報」より)

 

当時は香港の日本人向け情報紙で仕事をしていたから、返還対応のメディアパスをもらって、色んなところに行けた。24年前の今日は、人生で一番密度の濃い時間だった。カイタック空港に降り立つ江沢民国家主席を待つ瞬間。離港を待つ英海軍と写真を撮った時。0時になって日付が7月1日になった瞬間、セントラルの民衆の中にいた警察官が帽子に着いたロイヤル香港バッジを香港特別行政区のバッジに変えてみんなの拍手に沸いた時。その後土砂降りの中、直立不動で軍のトラックに乗り進駐してきた人民解放軍に身震いしたことーーー。

 

今日のお昼に、フト、懐かしく、6月30日から7月1日までのこんなことを思い出していた。なぜかというと、24年前の今日、一緒に昼ごはんを食べた友人カップル(今は夫婦)がまもなく香港を離れるから。長い時が流れたことを思い、改めて“時代”を生きているんだなぁ、と感じた。

 

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(お昼に食べた「口水雞飯」)